道院長(指導者)について
各地の道院では、金剛禅総本山少林寺によって指導者として正式に認められた道院長が、責任を持って道院運営・門信徒育成を行っています。
金剛禅宗門は教えを現代社会に生かすための道であるため、道院長は本職を別に定めたうえで、社会との関わりを持ちながら「自己と他人の成長、そして金剛禅を縁とした人間関係」を最大の喜びとして無償で指導に当たっています。
道院長紹介
道院長 鈴木 拓史
中導師 大拳士 六段
中導師 大拳士 六段
「力の伴わざる正義は無力なり」
私自身これまで何度も思い知らされた言葉です。
1977年小学校3年生の頃、道院長であった父の勧めで入門。右手が不自由で引っ込み思案だった私に何かを伝えたかったのだと思います。
中学に上がる頃にはすっかりクラスでも人気者(ひょうきん者?)になっていました。
部活や学業で一度は離れましたが、社会人になって復帰、今に至ります。
当時住んでいたところは決して品のいいところではなく、道を歩いているだけで絡まれることも頻繁にありました。会社勤めをするようになると、自分の思いや主張が全く通らないことも多々ありました。
世の中に出て自分が自分として生きていけるためには「力」が必要です。ケンカもそうかもしれませんが、体力、知識、智慧、それを生かすための技術とコミュニケーション力。そして何より大切なことは相手の想い、相手の立場で考えること。
少林寺拳法の修行を通じて、そんな様々な「力」を身につけ、この厳しい世の中を楽しく過ごせるよう共に頑張っていきましょう。
私自身これまで何度も思い知らされた言葉です。
1977年小学校3年生の頃、道院長であった父の勧めで入門。右手が不自由で引っ込み思案だった私に何かを伝えたかったのだと思います。
中学に上がる頃にはすっかりクラスでも人気者(ひょうきん者?)になっていました。
部活や学業で一度は離れましたが、社会人になって復帰、今に至ります。
当時住んでいたところは決して品のいいところではなく、道を歩いているだけで絡まれることも頻繁にありました。会社勤めをするようになると、自分の思いや主張が全く通らないことも多々ありました。
世の中に出て自分が自分として生きていけるためには「力」が必要です。ケンカもそうかもしれませんが、体力、知識、智慧、それを生かすための技術とコミュニケーション力。そして何より大切なことは相手の想い、相手の立場で考えること。
少林寺拳法の修行を通じて、そんな様々な「力」を身につけ、この厳しい世の中を楽しく過ごせるよう共に頑張っていきましょう。